ニューオーリンズの片田舎に佇む「旭日館」と言う名の児童養護施設。
そこは、夢や希望さえ失った少年たちの「スラム」と化している。
僕も、そんな「旭日館」で育った少年の一人だった・・・。
そんなくだりで始まるアニマルズ「HOUSE OF THE RISING SUN」は
1930年代に作者不詳で見つかった曲。
「旭日館」を出た若者が街を飛び出し、
やがて犯罪に手を染め、今度は重い枷と鉄格子のある刑務所に入るために
再びニューオーリンズへ戻ってゆく。
そんな物語をつづった歌詞。
WIKIによると、一番古いもので「Clarence "Tom" Ashley」←検索
と言うフォークシンガー?が歌ったものが残っており、こちらもyoutubeで聞くことが出来る。
しかし、アニマルズのマイナーコードの重厚さとは違い、大分やんわりとしたメジャー進行である。
アニマルズバージョンの特徴は、やはりマイナーコード進行とエリック・バードン(VC)の高音、
歌詞を「朝日楼(娼館)」から「旭日館(養護施設もしくは少年院)」に変えたこと。
もちろん、曲自体もフォークソングからロックへ上手い具合に昇華しており
このアニマルズバージョンの「HOUSE OF THE RISING SUN」が
現代では最もポピュラーであると言っても良いでしょう。
僕はリアルタイムな世代では無いですが、20代の頃この曲を聴いたときの衝撃は凄かった。
名曲には、歌詞の意味など分からなくても伝わってくる何かがあるので、
所謂「魂の連動」のような感覚に陥る感じです。
と、いきなり話は変わりますが、
最近「寄生獣 セイの確率」を見ました。
恐らく最近のアニメを見るのは「カイジ」か「刃牙」以来となってます。10年以上ぶりかww
ミギーの声優(ハルヒ)や登場人物が現アニメファン層に合うように調整されていたり
ラッキースケベがあったり。
作画レベルは素晴らしく、さすが時代の違いだなと感心しておりました。
アニメ化するにあたり、端折る部分は致し方なく、
また、現代に合う様に取り入れる部分も多々あるでしょう。
しかし、田宮良子とシンイチが始めて視線を交わす場面で
一気に萎えてみるのを辞めてしまいました。
あまりの演出のそっけなさに、これ以上見る気がなくなった感じです。
あの場面こそ、止め絵や繰り返しショット、画面分割など所謂「出崎演出」を用いて
「見つかってしまった!」「気付かれてしまった」を最大限に印象付けるべきではなかったでしょうか?
完全に僕個人の主観ですがw
アニメではなぜかその場面はさほど印象強くもなく
淡々と流れて、見つかってしまったことがまあ良いのか、という印象で流れていきます。
田宮良子と主人公の出会いが、所謂雑魚敵との遭遇程度だったらそれでも良いんですけど。
物語の核心を突く重要な人物であったため、彼女との遭遇は
この物語を始めてみる人に強烈なインパクトを残してほしい場面でありました。
音楽も絵もそうですが、古きを学ばずして良いものは出来ないとは
まさにこのことでしょう。
僕も反面教師にしてがんばらねばと思いました。
posted by akurou at 09:51|
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